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縁起・沿革

​ 埼玉県内には、710余年の歴史を持つ古刹・妙本寺があり、2ヶ寺目の日蓮正宗寺院として昭和30(1955)年に建立された大宮区の正因寺に次いで、昭和38(1963)年5月に法潤寺(ほうにんじ)が熊谷市内に創建されました。しかし、法潤寺は、日蓮正宗に背き、その教義を歪曲した「正信会」の僧侶により不法占拠され、日蓮正宗の布教活動に支障をきたすこととなりました。こうした状況を受けて、昭和62(1987)年に、熊谷市とその周辺地域における新たな法城として、仏説寺が建立されました。

 大石寺開創700年を記念して進められた新寺建立事業のうちの60ヶ寺目として建立された当寺は、JR熊谷駅南口より約800メートルの旧中山道沿いに位置し、境内の広さは約270坪あります。

 仏説寺には現在、熊谷市内をはじめ、行田市や深谷市、鴻巣市等に在住の法華講員が約400世帯所属しており、御住職が常に率先垂範しながら、僧俗一致のもとに、広宣流布に向けた活動を展開しています。

住職挨拶

 当寺のある熊谷市は、平安末期から鎌倉初期の武将・熊谷直実の本拠として有名ですが、直実は源平合戦の後、落飾して法然の弟子となり、屋敷跡は浄土宗の寺院になっています。しかし一方で、当寺の管轄する地域は、宗門上代から深縁の土地柄であり、熊谷市に隣接する深谷市畠山は、同時代の鎌倉幕府御家人・畠山重忠の館がありました。『産湯相承事』には、大聖人の母「梅菊女(妙蓮尊霊)は平の畠山殿の一類にて御坐す」とあり、幼い時までこの地で生まれ暮らしておられたと考えられています。また鴻巣市屈巣には、かつて「崛須坊」という法華堂があり、ここに第四世日道上人が滞在され、日興上人筆写の『法華本門取要抄』を書写しておられます。
 当寺が建立されて本年で三十三年になりますが、特に平成三年からの約三十年間は法華講の方々と苦楽を分かち合い、内容の濃い日々を送り、歩んでまいりました。令法久住と広宣流布は法華経の一大精神であり、法統相続は法華講の伝統であります。これよりは、この尊い妙法の信仰を子から孫へ曾孫へと、世代を超えて伝えていく折伏と育成に重点を置き、大聖人御生誕八百年の大佳節における誓願完遂をもって、仏祖三宝尊の御宝前に御報恩謝徳申し上げてまいりたいと思います。

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